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【翻案ノート】はちかづ記

¥300 税込

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金藤みなみによる、鉢かづき姫の翻案ノートの販売です。

全8ページ(表紙含む)
表紙 モノクロ
本編 モノクロ

※内部も白黒印刷となっております。
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[試し読み]
Girls live in a situation of delayed reactions.
(女の子は、すぐに反応できない状況を生きている)
Kim Gordon-Italy, April 1996
―『BABY GENERATION』より

[いつも誰か他を喜ばせなきゃ、という考えと戦っている自分]
女の子が、すぐに反応できなかったという理由で責められるのを見ると、胸の奥がきゅっと冷たくなります。すぐに反応できない生き物でありながら、自由に生きるっていうのはどうやったら可能なんだろう。自由と責任がセットであるならば、その「責任」は誰が決めるのか。誰にとって都合が良い「責任」なのかに目を凝らしていたいのです。

鉢かづき姫の母も、やっぱりそういうことを考えていたんじゃないかなと思います。Kim Gordonが、「どういうわけか、自分も母親になろうというインスピレーションを、母から受けたことは一度もなかった」というように、全く違う人格と魂を持つ女性二人が、たまたま家族だからと言って、同じように生きる必要はないわけです。

でも、母だって女の子だから。
娘の受難はなるべく取り除きたいという思いと、母として道を用意してしまう行いは、同時に発生するのです。道を用意するということは、その道から外れることを許せなくなってしまいがちだということです。Kim Gordonが、「母親になると同時に、私は私のままでいいー一部少女のまま、一部女であり、決して完璧でなく、いつも誰か他のみんなを喜ばせなきゃいけない、という考えと戦っている自分ー。私の場合、クリエイティブな活動をきている瞬間だけが、そんな思いから逃れられるのだった」と言うように、かづき姫が誰かを喜ばせるための装置として機能するのではなくて、かづき姫の独自の自由と冒険を生きることが出来たら良い。そして、かづき姫の母も、娘のためにレールを敷くために生きるのではなく、彼女の一部少女で一部女で一部母で、一部死者で…という自由を冒険していたのかもしれない、という可能性を想像します。

ここで強調しておきたいのは「母のように生きなくて良い」という解放は、何も母の否定では無いということです。「母」という存在は、もっと概念的なものであり、日本の「世間体」のようなものです。それでなくとも母という概念に、あまりに多くの意味が含まれすぎています。それゆえに、文学の中の「母」を解体し、文字通り「母の目を盗むように」物語を翻案するというパフォーマンスが生まれました。

Kim Gordonが冒頭の引用文を書いたのは1996年のことですが、2020年でも、誰かを喜ばせなければならないという切迫感で自分を追い詰める時代はまだ続いているように思います。問題は、自らが大事にしている生活のなかに溶け込み、つまみ捨てることが難しいものになってきているのかもしれません。
かづき姫という、女性の扱いの「時代の限界」にガチガチに固められた物語の芯の部分を掴んで、かづき姫と母の自由を、少しずつ勝手に翻案して語ってみたいと思います。翻案することで、物語の中で縛られていたものが見えてくるはずです。物語というのは、解放を描くのに優れた素材ですから。

[落ちて碎けし鉢]
〽おちて碎けし鉢よりは
 二つかけごの下よりも
 こがね白がね、しゃこ、珊瑚
 こがね白がね、しゃこ、さんご、げにもさあり、げにもさうよの
―坪内逍遥『坪内逍遥選集第三』内「鉢かつぎ姫」 p. 250より

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