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【小説】金藤みなみのじゃじゃ馬ならし

¥2,000 税込

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金藤みなみによる、4本立ての小説の販売です。

全40ページ(表紙含む)
表紙 カラー
本編 モノクロ
編集・装丁 山本和幸
※商品画像の挿絵部分も、内部は白黒印刷となっております。

小説 金藤みなみのじゃじゃ馬ならし・・・2
小説 白羽の矢・・・・・・・・・・・・・19
エッセイ スケボープラネット・・・・・・22
小説 サヨナラのある関係・・・・・・・・36

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[試し読み]
「目をさましてみて、自分が何者か、さぞとまどうことでございましょう。」ー新潮文庫版 シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』序劇1猟人の2の台詞より

[男の語り]  安全の為に、僕たちは明日から女性として生きることに合意しました。こうすれば、僕は君をずっと見守ることができ、君も、夜、安心して出歩くことができるはずです。二人ともそれぞれ、この時代に必要とされていることが何かがわかり、足りない部分を補い合い、どのように手助けし、また、自分に選べるものは何か、自分ではどうしようもできないものが何かがわかり、完璧なのです。今や、女性でないものは、識別番号で管理され、ただの所有物である生殖能力を提供するために精子バンクへと出向するという有志活動以外は、セーフティネットに守られ、仕事もないのが当たり前です。ただし、それは性器のあれこれではなく、ただ、女性なのかどうかということを、自身が自任するかどうかなのです。女性とは、つまり、女性らしく振る舞うということです。「臆病な息子に「男らしくしろ」と言う現代の父親のことはよく理解できる。この耳なれた励ましは、男らしさとは生物学的事実によってではなく意志的努力によって達成されるものだということを前提にしているのに、である。ジェンダーには、生殖器官とはまったく無関係で決定的に重要な行動的要素が常に伴っていたのである。」これは、スティーブン・オーゲルの言葉ですが、現代の意思的努力には、女々しくあることが、最上級の褒め言葉なのです。君は変声期を迎えて、少し猫背になりました。君は、女形を演じる少年です。昔、英国で、シェイクスピア劇はオール・メンで、女性役は少年が行ったといいます。なるほど、少年は小さく、成人男性ほどマッチョではなく、女性を演じることに、疑問を挟む余地は無いかもしれません。けれど、『問題はなぜ少年が女性を演じたかではなく、なぜ少年だけが女性の役を演じたのかということの方が重要』なのです。昔から、女性に見える青年はいたのです。むしろ色っぽく、女性というのは振る舞いであるのだとよく理解できるはずです。僕は、少年というものが約束された未来について考えました。少年は家父長制において、将来的に一家の主人になることが約束されていました。成人男性が優位だとすれば、少年は、まだ自由だが今後権利を得ることが約束されている存在になります。しかし、今は成人男性になることは、不自由の象徴のようなものです。と、すると、残るのは、少年が持つ、未だ責任を負わないと言う軽やかさ。その軽やかさを求めて、少年に女性役をやらせるのかもしれない、と、僕は思いました。僕は、いわゆる「おばあさん役」が得意な俳優で、妙齢の女性から意地悪な悪役まで、コメディタッチのものによく出演していました。僕と君がひとつになる為に、いままであやふやにしていた性を、完全に女性として申請し、契約書を書き、パックスになりました。事務所の意向では、男性申請をしているということになっていました。愚かな男性という存在は、大衆にウケるのです。しかし、男性は、道を歩くこともままならないほど、保証されない存在なのです。スリにあっても、恐喝されても、女性でない限り、十分には守られませんでした。昔の男性的な強さというのは、そもそもの役割から逃れることが出来ない状態、かたまった状態の暗喩だったのかもしれません。昔は「弱さ」という言葉は単純に良くないことだとされていたようですが、現在では、良い意味でしか使いません。…転じる可能性を持つと言うことの暗喩なのです。弱々しさ、というと、ことさらに良く、移り変わり、揺らぐこと自体が、価値を持っていました。僕は君にアイスクリームを買ってこようとして、外に出ました。久しぶりの舞台仕事を前に、少し興奮していたのかもしれません。ジーンズ地のロング・スカートをたなびかせて、アイスクリームを買って帰った僕は、君が帰ってくるのを一晩中待っていました。夜間に出しにいった書類が受理され、僕も君も、女性として登録され、より自由な存在になるはずでした。僕は朝、自分のIDに[女性]と記されているのを確かめました。しかし、君は結局帰ってはこず、昼になり、女性である僕の君への欲求を明るみに出すとして、君の存在が「危険」だとみなされたことを知りました。淫らさーそこからくる、少年の妖術のようなものーは、かつて魔女の妖術に関するルネサンス期の古典「魔女への鉄槌」の「魔女の妖術はすべて肉欲から来るものであり、女の肉欲はけっして満たされることはない」として取り締まるのです。いつの時代も、危険さは淫らさに始まり、我々―つまり、マジョリティの安全のために、淫らさを取り締まります。取り締まるべきは僕らであることは自明なのに。僕のIDナンバーが少し若く、少し早めに受理されたゆえの、君が少年から女性に変わるほんの少しの間に、慣行通りに行われた処理でした。彼らは…、かつては女性の存在そのものを危険だとし、その後、男性だけで劇を行っていたら同性愛者になることを恐れて女性を連れてきて、今になっては、少年が「危険」だと言い出しました。実在していて、異装によって真の姿に近づく行為は、それが、あまりに近づきすぎるが故に、恐れられたのです。非実在になってしまった君を追いかけて、僕は問いかけます。君が試着したドレスが、ベッドに横たわるのを見て、僕はベッドまで歩いていきました。その傍に腰掛けて、衣装を着替え続ける君の存在を思いました。衣装があったから、中身を揺さぶって確かめることが出来た気がしていたけれど、何かから何かへと変わる瞬間にしか、君は現れなかったのかもしれません。まだ形になっていない、君に手を伸ばし、軋むベッドに、自分の体重を預けます。僕は、君を追いかけるには、もう、あまりに重すぎて、ベッドに沈み込みました。それは、まさに、僕たちが容易に手放したものと、そこなわれてきたものたちと、それが見えなかったという事実の重さでした。僕たちは切り離されてはいけなかった、君の軽やかさを、僕は掴んでおかなければならなかったのです。

[女の語り:森の劇場] あたりは、静かで落ち着いた穏やかな森の景観で、夢のように美しいだけでなく、日曜日のように静かに秘密にされてひっそりとしていました。森の劇場は屋根が無く、雨天を心配する声もありましたが、公演中は晴れ続きでした。私はスマホの電源を早めに切って鞄に入れ、じゃじゃ馬馴らしのカタリーナを演じる“少年”のことを考えました。“少年”。私は彼の数多いるファンの中の一人にすぎません。彼は15歳。私の年齢の半分です。変声期を超えてなお高めの声で、背が高く、なかなかの人気者です。私はファンになってはやいうちに彼と握手する機会に見舞われましたが、感覚の全てが失われて、目の前に存在していたかどうか思い出せなくなるほど緊張したのでした。やはり、舞台の上と客席くらい、離れている方が、存在を感じられます。そう思う私は臆病者です。けれど、客席の中ではなるべく、彼になるべく近い席に座りたいと思ってしまうのは、ファン心理というものでしょうか。私はデパートコンシェルジュで、彼の公演を見るために、春物のワンピースをルミネで買い、去年買ったパンプスを磨き、フローフシのマスカラでまつげをコーティング致しました。普段から気を使うのが一番ですが、推しにダイレクトに使える金銭以外はどうにもケチなタイプでして、現場前になって急に悪あがきをしだすというのが私であり、人はこの行為のことをテコ入れと言うのでしょう。私はそもそも二次元オタクでした。二次元であれば、私が汗まみれでもにこにこ笑顔でいてくれる。だけど、三次元ではそうは行きません。少年俳優が例え笑顔を向けてくれたとしても、鑑賞者の私を臭いと思っているんじゃないかとか、私の失態に気づきながら無理をさせているんじゃないかとか、あれこれ余計なことを考えてしまう…。ただでさえ稽古も筋トレもファンアピールもメンタルコントロールも大変なのに、これ以上手間をかけさせたくない、というのが本音です。三次元は私を視認します。よって、私は接触がないとしても、少年の舞台に参じる者として最低限の、少年を不快にさせたくない、という思いによって、接触イベントにも耐えられるような造形を作りあげるスキルを備えたのでした。昔は、落ち着いて座って鏡の前で眉を描くとか、まつげとまつげの間をアイライナーで埋めるとかが出来ず、仕事で指定された髪色と指定されたアイシャドウカラーのみ最低限一番安いものを買い求めておりました。勤務日で無ければ、日焼け止め塗っておけば良いでしょうと思っておりました。本格的に“少年”の鑑賞者として沼にはまったあと、少年のじゃじゃ馬ならし主演が決まり、私は健康的ダイエットと肌質改善を決意いたしました。ダイエットは食べず眠らずの体に悪いものではなくて、シンプルに18時までに夕食を食べ終えるという方に絞り、その時間までは何を食べても良いというルールを設けることで、舞台への期待を仕事や生活全てへのモチベーションへと拡げたのでした。「拡げる」ということ。それは、あなたが私にくれたことです。最初は二次元漫画のキャラクターが好きで、そのキャラクターとタッグを組む役をあてがわれたあなたを見つけた時、息がとまるような思いでした。もともと芸能人に対して何かを思うタイプではなかったはずなのですが、ついつい日々の動向をインターネットでチェックし、舞台があるたびに手紙を書いて伝える方法を学び、手紙のレターセットを入手するべく文具店に足を伸ばし、出勤前の時間を使って伝えたいことをノートに書き出し、あれでもないこれでもないと考える時間は、私にとって至福でした。その手紙は、いつも公演前に用意されているボックスへと投函いたします。その手紙が本当に読まれているのか、まとめて倉庫に放り込んであるのか、それとも実は手に届きすらしないのか、実際のところは確証がありません。もちろん、物質としては届いているとは思います。そういうことで、お客さんを繋ぎ止めているものなのですから。けれど、本当にコミュニケーションとして届いているのかというところまでは、どんな人であってもわかるものではないのです。私は、“少年”に思い入れている方ではありますが、しかし、そういう現実的でドライな面も持っているのです。

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